薬害の勉強をする機会があって、「危険性の証明」、「予防原則」など新しい概念を覚えることになったので、ブログにまとめておく。特に医学における科学的根拠は誤解していたことも多かったので、間違いは多いとは思いつつ、学習記録として残しておくことにする。
医学の実学としての性格
医学は生物学の実学であり、ピュアサイエンスとは異なる性格を持っている。医学における科学性の問題は非常に複雑で、現在の医療現場では生物統計学、すなわち統計学が中心的な役割を果たしている。
統計学的手法の限界
医師たちはしばしば「サイエンティフィック」や「エビデンス」という言葉を使用するが、実際には経験主義的なブラックボックスと化した統計学の結果のみに依存している傾向がある。これは一種の推論形式、つまり科学的妥当性を確定するための機能推論に過ぎない。
従来の頻度主義統計学では、p値や信頼区間といった概念が重視されるが、これらは「データが観察される確率」を扱うものであり、「仮説が正しい確率」を直接示すものではない。一方、ベイズ統計は事前の知識と観察されたデータを組み合わせて事後確率を算出する手法であり、より直感的で臨床的に意味のある解釈を可能にする。しかし、現在の医学研究ではベイズ統計の活用は限定的で、依然として古典的な手法に依存している。
この推論形式が科学的に妥当だとされるから「科学的」だとみなされているが、実際には実態を見ているような錯覚に陥っているのが現状である。統計学的有意差などの概念が科学性の証明として扱われているが、これは本来の意味での科学とは異なるものである。
科学技術産業との一体化
フランスの哲学者ベルナール・スティグレールが指摘するように、サイエンスはいつしか科学技術と混同され、その科学技術は科学技術産業と一体化している。科学性というものが科学技術産業のファンクショナリズムと結びついてしまっているため、純粋な科学的探求が困難になっている。
この状況では、将来的な有効性について「がんが予防されるだろう」といった予測的な言説が強調される傾向がある。しかし、このような未来の可能性は無限に存在するため、どのようにでも論じることができるという問題がある。
真の科学的実証の困難さ
本来のピュアな意味でのサイエンティフィックな実証を考えると、生物の多様性を踏まえれば、長期間をかけなければ最終的な結論は得られない。この点において、現在の医学研究は根本的な限界を抱えている。
利益相反の問題
現代の医学研究では利益相反の問題が深刻化している。論文を読むときは後ろから読みなさいと言われている。ランセットやニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンなどの権威ある医学誌でも、論文の末尾にCOI(Conflict of Interest)、すなわち利益相反に関する記載が必須となっている。
これらの記載には、研究費を提供した製薬メーカーの名前が全て列挙されている。読者は論文を読む前に、まずこの利益相反の情報を確認し、それを踏まえて論文を読む必要がある。
WHOと製薬産業
ワクチンメーカーであるGSK(グラクソ・スミスクライン)やMSD(メルク・アンド・カンパニー)などは、いわゆるBIGファーマと呼ばれる世界的な製薬企業である。WHOの勧告なども含めて、科学性を論じる際には、こうした産業構造との関係を注意深く検討する必要がある。
結論
薬害の勉強を始めてみて、医学における科学性というのは思っていた以上に複雑で、正直まだよく分からないことだらけ。統計学の話も、利益相反の話も、表面をなぞっただけで、本当のところはもっと深く勉強しないといけないと思う。
ただ、少なくとも「エビデンスがある」「科学的に証明されている」といった言葉を聞いたときに、以前のように無条件に信じるのではなく、「どういう研究で、誰がお金を出していて、どのくらいの期間調べたのか」くらいは気になるようになった。
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